2012年12月24日月曜日

幼稚園の先生からお手紙を頂きました

記載が遅くなりましたが、幼稚園のターン先生からお手紙を頂きました。





Y君の担任のターン先生から、ようやく感想が届きました。


Yが一緒に勉強することになったと知った時は、不安に思い、緊張もしました。
なぜなら私はあまり日本語はできませんし、Yもタイ語や英語がわからないからです。
初日はボディーランゲージや絵を描いてコミュニケーションをはかりました。
そして彼がタイ語が分からない状態でクラスメートと一緒に授業を受けるため、
退屈するのではないかと思い、不安でした。

最初は彼もあまりクラスメートと遊ぼうとしませんでしたし、
クラスメート達も恥ずかしがって、あまり話しかけたり、遊んだりしようとはしませんでした。
しかし二日目から最終日までは、彼はボディーランゲージやタイ語、英語を少しずつ
使って、友達と遊びました。私から見て、彼はクラスメートを信頼しているようで、
私は安心し、彼もクラスメート達もお互いに、たくさんのことを学び、
ケアし合っていることを、私は良い事だと感じました。
そして私もみんなが一緒に遊んでいるのを見て嬉しく思いました。
それで彼が帰るときは、帰って欲しくないと思いました。
なぜなら私達はゆうすけは、クラスメートの一員だと感じるようになったからです。
そして是非また戻ってきて欲しいとも思いました。

今回Yが来たことは、教師および生徒両方にとって、たいへん良い経験となったと思います。
そしてタイ人と日本人が一緒に過ごしたことから、言葉が違っても一緒にいることが
でき、また普段とは違った形での楽しさが生まれるということが分かりました。
ターン



色々お世話になった先生から、嬉しいお手紙です。
学校側からの次の保養のリクエストが来ることを願っています。









2012年10月16日火曜日

一期一会


幼稚園のアン先生から


 我々幼稚園のクラスが短期間、外国人の園児を受け入れたのは初めてでした。
クラスにはタイ日のハーフの園児がいるものの、
園児とのコミュニケーションは常にタイ語でとっているので、
今回は私も特別に緊張しました。
なぜなら一緒に過ごす1週間は、私も日本来た園児も、当然言葉ではなく
ボディーランゲージによるコミュニケーションをとらざるを得ないからです。
私に与えられた準備の期間はたいへん短く、覚えた言葉は、こんにちは、さようなら、トイレ、ご飯、おやつ、美味しい?ぐらいなもので、
後はボディーランゲージとタイ語しかありませんでした。

すぐに私達が顔を合わせた最初の食事の機会が来ましたが、
Mちゃんは、お兄ちゃん2人とテーブルにつき、一緒にお昼ご飯を食べました。
私達は急いでお昼ご飯と椅子を用意しました。
その時のメニューは、もち米と豚肉のナムトック、豚フライご飯でしたが、
3人とも好き嫌いなく食べることが、私にとっては印象的でした。
おかわりもしていました。

次の日から、Mちゃんは短期間クラスの一因となり、教室で使う道具も用意して持って来ました。
クラスの皆も新しいお友達に興味津々で、興奮気味で、皆はあいさつしたり、
話しかけたりしようとしていました。
そしてまMちゃんの行動を観察していました。
Mちゃんの方は、慣れない文化や言葉、人々だったせいか、おとなしく、
あまり皆とのコミュニケーションには積極的ではありませんでしたが、
皆を良く観察し、何をしたら良いのか分かるように、先生の側に居て、見ていました。

Mちゃんは、自分のことを自分できちんとできる子です。
周りにいる友達の様子や態度を観察して、スムーズに教室の状況に
合わせることができます。
自分のことを良くできるし、好き嫌いなく食べられるし、お昼寝もちゃんとできます。

また、自分のしたいことをきちんと伝えることができる子です。
輪になって、お遊戯やお歌を歌うアクティビティーでも、Mちゃんは一生懸命、
お友達の歌を良く観察して、真似るようにしていました。

しかし、お母さんやお兄ちゃん達と離れて、慣れない外国の人、言葉、
文化の環境のクラスに居ることで、不安や心配になり、泣いてしまい、
教室から数日離れました。

最後の2日間は生活や友達にも慣れてきて、
時々友達や先生に日本語で話すようになりました。
そして笑顔もみられ、表情もリラックスしてきました。
最終日は一緒に記念写真を撮り、Eメールの交換すらしました。
今でも子供達に間では、
外国から私達のところに訪れた小さなお友達の話題が上るのです。

 ヌッチャパウィーゴーン・ディロカパラードーン
飯島ヒロシ訳




2012年9月20日木曜日

今後のプロジェクト

今後のプロジェクトについては今の所、予定はありません。

日本の状態を考えると続けることに意義があるのでしょう。
しかし、受ける側(学校側)のサポートをしてくださる方が本帰国されてしまい、
今後が見えない状況にあります。
この中で、私が一人で出来ることは限られていますが、
学校側からの要望があり、先生方やホストの方々の協力が得られるようでしたら、
また、募集することが可能になると思います。

その時はまた、よろしくお願い致します。


高木多香子











保養プロジェクトに参加して


参加してくださったY.Tさんのレポートです。


2012年9月20日

ルンアルン学園での保養プロジェクトに参加して
Y. T

1.概要
【1】日時:2012821日(火)~31日(金)
【2】場所:タイ バンコク ルン アルン学園
【3】参加者:Y.TAge40、Female) 、
Y.YAge9、Male)、Y.YAge7、Male)、Y.MAge4、Female
【4】参加した目的:
この学校の素晴らしい自然溢れる環境での学びと生活により、震災、原発事故による心身への影響を緩和させ、健やかな気持ちになることにより、心身の健康を取り戻したい。
また、教育手法の違いを体感し、世界は広く、様々な人々や習慣など違いがあることを体験を持って知り、視野を広げたい。
【5】スケジュール: 
821日(火)到着
822日(水)校内見学、ステイ先へ移動
823日(木)~30日(木)学校登校
25,26日は学校は休み)
831日(金)帰国
2.内容
【1】バンコクと日本との違い
①子どもに優しい
 街を歩いていても、子どもに向ける大人の視線、空気が優しい。
 電車の中でも、サッと席を譲ってくれる。
 校内でも自然に挨拶をしてくれるのでとても居心地が良い。
 日本では、道で会って知らない人に挨拶するとびっくりされるが、バンコクでは会釈してくれる。
  
②話し声が小さい
 会話する声の音量が小さく、聴いている方も耳に優しい。
 日本でいかに大きな声でしゃべっているのか、と思った。
 もしかしたらそんな大きな声で会話する必要はないのかもしれない、と思った。

③怒っている様子がほとんどない
 街中、家庭内、学校内で子どもを叱る、厳しく注意するという姿を見なかった。
 躾をどのようにしているのか、とても感心がある。
 
④体格がよい
 自分が勝手に持っていたイメージだとタイの人は女性も男性も華奢なイメージがあったが、 児童、生徒たちは身長も高く、体格の良い人が多かった。

【2】日本の公立校との違い
①毎朝、集会がある
  毎朝、何らかの形で身体を動かす時間があるのはいいと思う。
  主に運動系の集会だったが、サーキットトレーニング形式で、全体のバランスを整える働きも生まれるのではないだろうか。
  また、身体を動かしてから、机上の勉強を始めるのは、気分転換にもなり、授業への集中も促すのではないだろうか。
  異学年グループでの活動もあり、交流があってよいのではないか。
  
②机の形
  最初に気が付き、一番驚いた点である。
  四角ではなく台形の机がいかに想像力を呼ぶかを感じることができた。
  四角の机は学校側が生徒を管理するのには向いているが、「完全」であることは、想像力を生み出さないのかもしれない。
  台形という「不完全」な形だからこそ、創意工夫が生まれるのかもしれない、と感じた。

③ノートが統一
  ノートが統一されたシンプルなものであること。
  これにはどんな意味があるのだろうか?
  イイムラ先生からの説明では、ノートも回収して、評価のポイントとなるとのこと。
  確かに、中学生の授業のノートの取り方を見ていたら、先生が書いたマッピングをそのまま写している学生もいれば、それをライン上に落としていっている生徒もいた。
  「ノートの書き方」として、1つのスタイルを生徒に強制させるのではなく、ノートの取り方も含めて、生徒を観察しているというのはとても面白いと思った。
  日本の公立校では、ノートの書き方から教えており、基本は板書をそのまま写す形なので、クラス全員、ノートの取り方は一緒である。
  この方法は、基礎をまず押さえてから、応用へということだとも考えられるが、授業が、黒板に書いたことをそのまま写す、という作業に没頭する時間になり易いのではないか、とデメリット部分が浮かんだ。
  
④食事の重要性
  ルンアルンでは、10時のおやつ、ランチが重要視されていると感じた。
  10時に軽食を取ることによって、午前中の教科学習にメリハリがつき、リフレッシュし、授業へ集中できるのではないか。
  また、ランチについては、幼稚園の頃から食事を作る、ということに定期的に関わり始め、中学、高校になってからは交代で、メニューの立案から作成まで、学年全体のランチを担当するという仕事があり、これによって、仲間との協調作業、工夫など大きな学びが隠れているのではないか、と思った。
  日本においても「食育」という言葉があるが、「食育」はどちらかと言うと、「栄養のバランスを取る」や「お手伝いをする」など、1つの答えとある一定の価値観が準備されており、比較して考察すると0からのスタートではないと考えられる。メニューから作り方、時間配分など、スキームとして将来社会に出てから役立つ力をここから学べるのではないか、と思った。
  
⑤食器を自分で洗う
  日本では、衛生面の観点から給食で使った食器を各自が洗う、という習慣は集団生活においてはない。自分のことは自分で最後まで片付ける、というのはホリスティック教育の一部なのか、と思った。

⑥1クラスに教員が2人いる
  小学校において、生徒数25人に対して教師が2人がいるというのは、個人の授業中の様子や個人の能力に目が届く人数と考える。

⑦毎日のスケジュールがカチッと決まっていない
   基本の時間割はあるが、生徒やクラス、教科の特性によって伸縮自在になっているように感じた。そこからは機械的にはめるのではなく、目的に合わせて制度を考えるという自由自在なスタイルを取っていると感じた。

⑧校内のいろいろな所に自然に集えるスペースがある
 バンコクの気候を利用して、校内に多くの植物が植えられており、そこに学年や教員、生徒、父母などの立場を超えたステークフォルダーが自由に対話できる場所が用意されており、そこで新しいアイディアや意見などが交換される可能性を秘めているのではないか。
無印良品などのデザインで知られる原研哉氏の著書『日本のデザイン―美意識がつくる未来』の中に出てくる「ボタニカルワークスフィア」構想というものが出てくる。これは、リゾートとワークスペースをひとつの場所に作り、onとoffを自由に行き来する、というこれからの生活のスタイルのひとつの提案なのだが、ルンアルンの校内を歩きながら、まさにその構想が実現されたかのような感じを受けた。

⑨放課後、売店が出る
 これは、子どもたちにとっても放課後を楽しみに過ごせる時間になった。
 日本では、放課後に買い食いして帰ることは、絶対にいけないこととされている。
 全く、考え方が違うことに驚いた。
 
⑩ゴミの分別
 ゴミのリサイクルと分別が徹底して行われていること。
 ホリスティック教育に基づいているからこそ、余計説得力があると感じた。これを家庭でも実践していけば、ゴミの削減につながるのではないか。

⑪先生の板書にマッピング(マインドマップ)が使われている 
 個人的に使っているマインドマップを実に自然に先生方が使っていることに感銘を受けた。
 飯村さんに聞くところによると、授業計画策定、授業研究などもマッピングの手法を用いながら行っているとのことで、ホリスティックとマッピングが親和性が高い、ということ知ることができた。
3.気付き
①ホリスティック教育の重要性
 「ホリスティック教育」というオルタナティブ教育に出会ったことは、今まで初等教育は「義務教育」だから、と全く何も考えずに学校に行かせることを選択していたが、それはある意味育児放棄に近いのでは?と内省する大きなターニングポイントとなった。
 赤ちゃんの時から自然と備わっている「好奇心」を「学び」に結びつけ、「知識」に落とし込むという、人類が持っている自然の流れに基づいているこの教育手法は初等教育にこそ、伸ばさなくてはいけない力だと思った。
 
②評価のポイント(全体の中での位置、個の発展度)
 日本の学校では、評価は定められた指標に対する到達度でしか評価されていないように感じるが、ルンアルンでは、個人の伸び具合もしっかりと評価しているとのことで、多面的な評価の必要性に気付けた。

③個の存在、まるごと肯定する
 2.とも関連するが「ホリスティック」というだけに個人をまるごと肯定する姿に感銘を受けた。
 学校でも家庭でも「行為をする」=「DO」によって評価されることに行き詰まっている子どもが多くいるのではないか?と最近思うのだが、そうではなく、子どもたちの存在そのもの=「be」が全面的に肯定される社会の中で成長することは、自己肯定感と自尊心という一人一人のベースを作る大きな源になっているはずである。

④自分から動くことを信じる
 授業の様子を見て、「これをしなさい。」というのではなく、あくまでも生徒本人が自らの意思で動くことを最後まで信じているのだな、と感じた。

⑤どんな結果からも導かれる
 物理の授業を参加した際、予定では開いているはずの門が開いていなくて、想定していない授業展開になっても、それを利用して授業を展開していくことがすごいと思った。まさにこの世の中に不要なものはなく、全てが必要な存在である、という「ホリスティック」的価値観が自然に根付いていることのすごさにびっくりした。

4.私たちの変化
①子どもたち
帰国後、明らかに自分で考えた発言、行動が見られるようになったのは驚きだ。
そして、バンコクでの日々を時折、思い出して、「また、行きたいね。」と会話に出るので、子どもたちにとっては印象深い出来事になったに違いない。

②私
親である私にとっては、言わずもがな、子どもの教育を考える大きなターニングポイントとなった。
「子どもは日々成長していくので待ってくれない。」という言葉にハッとさせられ、今、してあげられることを
真剣に考えなくてはいけない、親である自分が考えなくては、誰が考えてくれるのか?と思った。

5.持続的なプログラムとしての有効性
【1】メリット
①参加する立場
・心身の健康を取り戻す
・異文化体験(学校生活、生活スタイル、食事など)
・帰国後の価値観の拡がり

②受け入れる立場
・教えることによる、無意識の意識化
・異文化体験

6.このプログラムをさらに改善するとしたら
・ミッションの明確化
・タイ語のレッスン
・大人用プログラムの開発 (ヨガ、クッキングに加えて瞑想、教育手法についての話など)
・共同アクティビティの実施 (親子交流、)
・通訳スタッフの確保
・ステイ先での意思疎通
・良心的参加費設定

7.最後に
このプロジェクトに参加できたことはとても有意義だった。
何より、見えない放射能の影響から、数日でも避難できたことは、子ども、特に次男の体力の回復に大きな影響をもたらした、と確信している。
それは、帰国後の検診結果にも表れており、高値で推移していた尿タンパクが平常値に下がったことは何よりの証拠であると考える。
それだけでもありがたいが更に、全く違った環境で過ごすことができたことによって、日本での生活をより高いポイントから俯瞰し、無意識で行っていることを意識化することができ、当然と思っていた公教育への疑問を呼び起こし、改善への道を模索するなど、私自身の生活にも小さな変化が生まれたと感じている。
どの場所でも温かく迎えてくれた、学校関係者の皆様、ホストファミリーのオンさん、コウさんご家族、コーディネータの高木さん、学校内をずっと付き添ってくださっていたイイムラ先生には特に感謝しています。本当にありがとうございました。

以 上







2012年9月19日水曜日

プロジェクトの感想(大変遅くなりましたが)

高木さんが企画されたプロジェクトについての、私なりの感想をお話いたします。

今回、お母様とお子様3人の計4名での参加でした。

当初は3家族募集でしたので、日本人家族だけのアクティビティーも考えていました。
参加する子ども達はタイ語が分からないため、芸術や体育系の教科以外の参加は難しいと考えたからです。

ところが1家族のみとなり、どうしようかと悩みました。
で、とりあえず各担任の先生方にお願いし、試しに国語、算数などの時間も参加させてもらうことにしました。

すると小学1年の弟さんだけでなく、小学3年のお兄ちゃんでさえ、自然にクラスにとけ込んでいました。年少の妹さんは、ちょっとお母さんが恋しいようでしたが、それでもクラスに参加していました。

これはタイ人の懐の深さだけでなく、お子さん達のバイタリティーによるものであり、お父様とお母様が素晴らしい育て方をされた結果だろうと思います。






ルンアルン学園のクラスメイトが、すべての日本人の子どもを受け入れることができるという訳ではないでしょう。今後このプロジェクトを再び実施するにあたり、日タイ両方の子ども達が刺激し合い、活き活きと過ごせるかどうかは、日本の子どもが違う環境に臆することなく、入り込めるかどうかにかかっているでしょう。

お母様のバイタリティーも素晴らしく、給食室のスタッフに教えた和食は昼食に出され、評判も良かったです。また中学生に焼きそばとみそ汁を教え、生徒と一緒に食べました。更にタイ料理も習いました。是非日本でも作っていただきたいです。





小学校高学年(5、6年生)のクラスに、お母様が震災時の体験をお話してくださいました。生徒達はみな真剣に聞いていました。ルンアルン学園では積極的に環境問題に取り組んでいます。お母様は実体験や実際に起きたことを話されたので、大変良く伝わったと思います。それは話を聞いた後の生徒の感想や質疑応答からも分かりました。本当に素晴らしいお話でした。

お母様は大学の事務にお勤めなので、我が校のホリスティック授業を見学していただきました。1つ目はフィリピン人の先生が英語で教える中学2年生物、2つ目が高校2年の生化学、3つ目は中学3年の物理でした。









私としては日本の中等教育においても、ホリスティックな教育をもっと取り入れて欲しいと考えていますが、文科省のカリキュラム上、ルンアルン学園のような授業は難しいでしょう。

せめて大学等の高等教育機関において、よりホリスティックな教育が行われることを期待しています。

今回のプロジェクトは参加された日本の家族だけでなく、ホストファミリー、ルンアルン学園のクラスのみんな、教職員にとっても有意義であり、多くのことを学ぶことができた、素晴らしいプロジェクトだったと思います。

高木さんを始め、お母様、子ども達、先生やスタッフの皆様に心から感謝いたします。

元ルンアルン学園職員&教諭 飯村 浩

2012年9月14日金曜日

プロジェクト、無事に終了致しました。



8月の最後の日にこのプロジェクトは無事終了致しました。
それぞれのスタッフが直後より私用で忙しくしており、ここへの報告が遅くなりました。

このプロジェクトに参加された家族は最終的に一組になりました。
しかも、そちらの事情も有り、1週間の参加になりました。

男の子二人、女の子一人を連れてお母さまは逞しくやって来られました。
夜の到着で打ち合わせなどほとんど出来ずにお休みになられ、
早朝、学園へ向かいました。

学園側では彼方の日本人スタッフが迎えてくださり、学園の園長から校長など、
重要な方々にご挨拶、ステイ先の家族にも会いました。
学校の中を散策し、子供達は子供達の校舎で昼食、私達は大人の食堂で昼食を取り、
再び、学校探検。
子供達は日本で「学童保育」で過ごしていたので、タイ語とはいえ、沢山の友達と仲良くなるのには長けていました。

夕方、私は後を日本人スタッフ・飯村さんにお願いして帰宅致しました。
後日、お母さまがされる「震災のお話会」の催しに参加するのみとなりました。
これで私の出番は終了致しました。

以後のプロジェクトの成功は彼等の気持ち一つ、と言うことでしょうか、

子供達はタイ語の授業にも関わらず、教室から出ることは無く、楽しんだと聞きます。

お母さまは学園の給食の係の方に日本食を教えたとか、勿論、タイ料理も習われたようです。

ステイ先の家族は日本に家族が居られて、言葉に不便は全くなかったらしい。

「震災のお話会」の日、彼女が教えた親子丼と味噌汁が学食でだされていました。
こちらからは、バンコクに運良く引っ越された家族と学園を見学しながら参加させて頂きました。

小学5年、6年対象にお話しして頂きました。「その時、東京でどのように過ごしたか?」のお話が主で、放射能の話にはなかなか行き着きませんでしたが、
一度には無理な話でしょうか、


彼の家族は、学園でもステイ先でもアクティブに過ごされて、帰国前夜は空港近くのホテルに移動、そして、8月の最後の早朝、日本へ帰られました。

ざっと流れを紹介致しました。
本当に、何もかもがパーフェクトに進み、実によかったと思いました。

このプロジェクトに協力して頂いたルン アルン学園に感謝しています。
そして、この学園を紹介してくれた友人、この長月の初めの日に日本へ本帰国された
飯村ヒロシさん、この貴重な経験をありがとう、

どうか、日本でも生き抜いてください。
そして、また、面白い世界を紹介してくださいね、

高木多香子



参加して頂いたお母さまにレポートなど、お願いしています。
届きましたらここで紹介させて頂きます。